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花火をつくる
  野村花火工業  新堀雄一

花火師は奥の深い仕事

ホーホケキョ ‥‥‥ うぐいすの艶やかな鳴き声が、透明な空気の中を通りぬけるように、のびやかに響きわたる。東京都心とは2〜3度は気温が違いそうな水戸の山中、初夏の鮮やかな緑色に包まれた工室の1室で、新堀(にいほり)雄一さん( 33 歳)は花火を仕込んでいた。隣の先輩と時折交わす数少ない言葉をのぞけば、鳥の声以外何も聞こえない。静かである。

「花火って奥が深いんですよ」。入社4年目を迎える新堀さんは会話の途中で何度もそう言った。ひとつのことができるようになってもまた次があるしその次もあるしと言う。花火が光る色のもととなる丸い「星」についても、たった1センチ大きくするのに1ヶ月以上もかかるのだと話しながら、「色によって薬品のかけ方が違うし、気象が変わるとまたかけ方を変えなければならない。生き物みたいです。奥が深いです」と言う。そして「星」と、玉を破裂させる「割薬」とを交互に玉の中につめて行く「仕込み」の工程については、「仕込みがうまくいったと思っても、上げてみると違うことがある。根詰めたほうがいいとは限らない」と分析し、仕込みが一番むずかしいと言う。

小一時間で仕込める5号玉を次々と仕込む新堀さんの傍らで、「同じ作業のくり返しに飽きることはありませんか」と聞いてみたとき彼は、「同じ作業だけど同じ作業だと思わない」と即答した。「もっと良くやろうと思ったり、もっと早くこなせるようにと思ったり、同じじゃないんです」。

やりたいことやってお金をもらっているので本当に幸せですと新堀さんははにかむ。「のびのびやってるのを見てるから家族も喜んでると思います、今はね」と笑った。

スーツに未練はない

何となく大学には行きたかった。何かの役に立つかと経営情報学部に入った。卒業後、某市の外郭団体である観光協会に就職した。理由は、実家に近いことと、堅い仕事で安定していること。実際に働いてみると、観光イベントに従事し多くの人が喜ぶ顔を見るのはうれしいことだったが、目的意識を持たないまま就職したせいか、ビッグイベントがあると1ヶ月も2ヶ月も休みがなくなる生活につらさを感じたりするようになった。「このままでいいのかな。何か物足りない ‥‥‥ 」。そう思ったのがきっかけだった。

一方、夏の花火大会で毎年接触のあった野村花火の仕事ぶりには以前から魅力を感じていた。ものすごい音、光。その中で半纏姿で立ち働く男たちをカッコイイと思っていた。自分も作ってみたい、上げてみたい。花火は素晴らしい。しかも、野村花火は大きな賞をいくつも手にする実力ある会社だった。やるならこういうところで技術を磨きたいと思える一流の会社だった。迷いはなかったという。近くにこんな会社があってラッキー、そう思って社長に会いに行ったら、「華やかに見えるが、普段は地味だぞ」と言われた。しかし普段の仕事が地味であることは想像がついていた。体を動かす仕事をしたいと思ったしもともと手作業も好きだった。8年の事務職を経て、もうスーツに未練はなかった。

反対したのは家族だった。両親には「市がなくならない限り今の仕事はあるのに」と言われた。1歳の子を抱えた妻は「なぜ危ない仕事を」と反対した。数ヶ月をかけて「熱い思いを」語った。今、理解してくれるようになった家族は大会にも足を運んでくれるようになり、4歳になった息子からは、「花火ってどうやって作るの?」と聞かれるようになった。

「タオル首に巻いて汗かいて、ホント、気持ちいいですよ。冬も、電気は厳禁なので暖房もなく、氷点下の部屋で手足にしもやけができる。季節を肌身に感じます。エアコンの中で働いていた頃とはガラッと変わった。それが自然だし体にもいいでしょ?」。天気のいい日に星かけすると全身まっくろ。風呂でお湯をかけると頭から黒い水が滴る。「正直、こんなに汚れるのかとびっくりしました」と笑いながら、でも汚れは風呂に入れば済むことだしと屈託ない。妻からは「どうやったらそんなに汚れるの」とあきれられ、自分専用の洗濯機も設置された。しかも外に。

1年間、地味にコツコツとまっくろになりながら過ごして、夏、一気に「うっぷんを晴らす」。花火大会当日は、6時7時に出社し、終了の夜中 11 時 12 時まで一瞬たりとも気が抜けない。「家に帰って寝ようと思っても疲れすぎて寝られない」。そのくらいエネルギーを注ぎ込む。でも、「一番元気の出るとき」。観客の歓声を聞くと感激する。日本独特の、多色に幾重にも輪が重なる美しい多重芯(たえしん)の菊型花火が野村花火の得意とするところだ。

8時起床8時半出勤の生活から、今は5時半に起き7時半に会社に入る生活になったがまったく苦にならない。天職だと思いますかと聞くと、まだそこまでは言えないが長く続けたいと思うと言う。まだやったことのない仕事も多いので、まず一通りの仕事ができるようになりたい。ゆくゆくは多重芯のなかでも現在最高の五重芯まで仕込みたい。そして将来は一流の花火師になりたい。ここで一流になれば全国的にも注目される花火師なのだから。

今年の夏、東海村の花火大会で、3分程度のスターマインの担当を任された。仕込みだけでなく、企画・構成も考えるのは、また一段と楽しい。こうやれば盛り上がるだろうな、お客さん、喜ぶだろうなと、あれこれ思いをめぐらせている。観光協会にいたときは、家に帰ってまで仕事のことを考えることはなかったが、今、花火が頭から離れることはない。花火は、今や生活の一部である。




 

 PICK UP



 花火師 DATA

■ 業界 :
花火は 13 〜 4 世紀頃、イタリアに始まる。日本へ火薬が伝わり花火が始まるのは 16 世紀半ばと遅いが江戸時代には庶民の間に広まる。日本の花火は世界でも類を見ない精度が特徴。日本人は花火好きと言われ、近年の不況下でも花火市場は一定規模を保ち続けてきた。花火は危険を伴うこと、ほとんどが手作業に依存することから小規模工場がほとんどだが、「業界は常に工夫、努力を重ねているし、疲れきった現代人の心を癒す花火の人気は衰えを知らないと思う」と野村陽一社長。
■ 求める人材 :
誠実であること。粘り強いこと。(野村花火工業 野村陽一社長談)

 工場 DATA

■ 野村花火工業
水戸市谷津町 736 TEL:029-254-34
http://www.hanabi.e-mito.jp/



* 本文は「MEMO男の部屋 2007 年8 月号」 (ワールドフォトプレス刊) に掲載されたものです。

 


文:舟橋左斗子
写真:柏原文恵



 職人近況

あいかわらず元気にしています。今年の夏は、いくつかの競技会に私のプランで出場しました。8月9日ふくろい遠州の花火 2008 では、スターマイン「絆〜一番大切な人へ」を担当しました。9月6日諏訪の全国新作花火競技大会では玉の新作「秋の気配」を出品し、殊勲賞をいただきました。 入ると思っていなかったので、とてもうれしかったです。

( 2008/9/8 新堀雄一さんより)


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