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豆腐をつくる
  気合豆腐  杉光謙介

豆腐屋の仕事には、すべてのおもしろい要素が詰まっている

とろりと重い象牙色の豆乳をそうっと寄せ箱に注ぐ。にがりを加えてゆっくりと混ぜ、しばらく置くとなめらかに固まる。「ああ、こうすりゃ美味い豆腐が俺にもできるんだ‥‥‥とこのごろ少しだけわかり始めて」と杉光謙介さん(30歳)が頬を紅潮させる。気合豆腐率いる店長の新井弘幸さん(44歳)が横からあれこれ指示を出しながらだったがともかく、杉光さんの手による豆腐ができあがった。「美味いのを作りたいから濃くしてしまう。濃いので味はいいけどにがりが回りにくかったり食感が悪くなる」(新井店長)。そこのところを何とかうまく固めるよう細かな指令が飛んでいた。見習いが作る豆腐は硬さが足りずにまわりが崩れるなど、通常ひと釜煮ればとれる30丁がとれないことも多い。少し小さいサイズ、価格も通常のものより少し安くして「杉光作」「池田作」と明記して売られているが、味に損傷はない。気合豆腐の他の品と同様、甘みが深く豆の味の濃い、実に美味しい豆腐だった。

「煮て圧力をかけると甘みが出る。でもかけすぎると甘みだけになって豆の味が消えてしまいます」と杉光さんが言う。ポイントとなる「煮る」工程は職人技。音と匂いで「こうすればこうなったという経験を体に刻み込んでいっている」と杉光さんは言うが、師匠はさらに豆の種類はもちろんのこと、水の温度、季節により異なる豆の状態等々、様々に日々異なる条件をファジーに見ることができるのは「人間の手」と語る。

お客様に会えなくなる

コンピューターの専門学校を出てITの会社に就職した杉光さんが、月100時間を超す残業と人間関係に疲れ、退職を決意したのは約3年後のことだった。その後、ラーメン屋、スーパーの青果部門、途中調理師やヘルパーの免許も取りながら、病院の給食室、介護福祉系と職を変えた。豆腐小売店の行商のアルバイトを始めたのも、何か変わったことをしたいなという軽い気持ちからだった。まだ20代、今を楽しく過ごせればいいと思った。ラッパを吹き町を回る豆腐屋の行商は数十年前までは日本の日常風景だったが、杉光さんの生まれ育った時代と地域にはもうなかった。近年、比較的大手の豆腐製造業者がこの行商を復活させそれに続く店も現れ、首都圏では若者がラッパを吹き豆腐を売り歩く姿を見た人も少なくないだろう。日本の伝統的なものへの興味もあって始めた行商だったが、歩き始めると、はまった。入った豆腐屋がつぶれて関係会社に移ってからも売り歩き、その期間は決して長いとはいえない合計1年弱のことであったが、売上も好調だったし、何より、毎日顔を合わせるお客様に心うばわれた。新興住宅地で豆腐の行商が珍しいせいか、多くの方がひいきにしてくださり、いつも満面の笑顔をくれた。

自分を称して「わがまま」と言う杉光さん、人間関係で仕事を辞めてたことが多いというが、この会社とも間もなく袂を分かつ日が来る。「馴染みのお客様のところにもう行けなくなる」。数えてみると約100人。そのことが杉光さんの胸を引き裂いた。それだけではなかった。これまでどの会社でも人間関係がうまくいかなかったのに、ここで出会った同じアルバイトの漫画家、役者、ミュージシャンたちとは妙に馬が合い、この関係も捨て難かった。
「僕の作った豆腐をお渡しする日が来るまでちょっと待っててください」。
いつか独立して豆腐屋になる。そしてこのお客様たちのところに戻って美味い豆腐を届ける。フラフラしてる「あいつら」も雇わなきゃ。
100人のお客様に挨拶して回ったのは勢いだったかもしれない。けれど勢いまかせでも行く価値があると思った。

自分で作るということ

「ここの豆腐食べちゃうと、他のは食べられなくなっちゃうよ」。
行商について歩きながら話を聞いていたら、豆腐を買ってくれたお客さんがそう言ってワハハと笑った。お客様が美味しいと笑顔をくれ、たくさん買ってくれると、ついて歩いてた短い時間でさえうれしかった。クチコミでお客がお客を呼び始めたある地域の様子を目の当たりにし、一歩一歩ながらも着実に気合豆腐の輪が広がって行く様子を眺める杉光さんの楽しみをひととき共有した。

気合豆腐との出会いは月並みにインターネットだったが、美味しいと思っていた前の会社の豆腐と比べものにならない品質だった。「今、僕の中では、気合豆腐がいちばん本物の豆腐。それを自分で作っているから自信がある。すぐに店長ほどのものは作れないが、あせる必要はない。それが本物の強み。必要があれば変えてもいける。それが自分の手で作っている強みです」。柔和な笑顔でたんたんと話す言葉の中に、秘めた力強さを感じた。「もしかしたら自分で豆から作るということもあるかも」。自然や農業にも興味がある杉光さんは、いつかそんなこともしでかすかもしれない。

数多くの職に就いたが、どれもまったく無駄だったわけではない。それぞれの仕事で少しずつ得てきたもの、そのすべてが結実したのが豆腐屋の仕事だと杉光さんは言う。「すべてのおもしろい要素が詰まってるんです」。気合豆腐で働き始めてまだ4カ月。初めての地域を回る行商は、馴染みのお客様もつき始めたばかり。売上に対する歩合でもらう給与は今は多いとはいえないが「生きていければそれでいい」。独立目標の時期を聞くと、「先のことはわからない。今を大切に一歩一歩進んで行きたい」と杉光さんは笑った。




 

 PICK UP



 MEMO

※ 杉光さんの豆腐作りの師匠、新井弘幸店長はこの地に古くから店を構える埼玉屋の3代目。時代とともに売上が落ち始めたとき、豆腐を作るのは難しいとされてきた大豆「玉誉れ」に惚れ込み試行錯誤をくり返して商品化にこぎつけ「気合豆腐」と名づけ、近年注目を集めている。いろいろな国産大豆を使って品数の多い展開をしながら、見習いをたくさん育て、将来独立させてのれん分けし「気合豆腐」ブランドを広めることを目指している。

 

 豆腐職人 DATA

■ 業界 :
豆腐店は都内で1400軒を切り、全盛期の半分以下となったが、気合豆腐のように豆にこだわり美味しい豆腐を作る店も出てきて、小さな新しい潮流を作り始めている。
■適材:
途中であきらめずやりぬく力を持つ人。また、色々なことに興味を持つ人。狭いカテゴリーの中で考えると豆腐は美味くならない(気合豆腐 新井弘幸店長談)。
■待遇:
勤務は早朝から昼前後まで豆腐製造、その後夕方まで行商、その後翌日の準備や後片付け有。基本給5万円+歩合給(行商売上の2割)。朝昼食付。寮完備。週休1日。2年で独立を目指してほしい。(気合豆腐の場合)

 SHOP DATA

■ 気合豆腐本舗 
埼玉屋本店(工場、直売店): 東京都葛飾区宝町2-9-14 TEL03-3691-4951
京島店(キラキラ橘商店街内、販売のみ): 東京都墨田区京島3-19-3 TEL03-3612-2813
http://saitamaya.net/



* 本文は「MEMO男の部屋 2007年10月号」 (ワールドフォトプレス刊) に掲載されたものです。

 


文:舟橋左斗子
写真:柏原文恵



 職人近況

2008年10月1日
一年と七ヶ月の修行期間を経て技術的なことはおおよそ習得しました。現在、開業先を探していますが、めぼしい物件はなかなか見つかりません。あまり悩んでも豆腐作りに影響が出てしまうので気長に探すつもりです。場所はともかく、買い求めやすくて味はピカ一な豆腐屋を目指して頑張りたいと思います。(2008.10.1杉光謙介さんよりメール)

( 2008/10/1 杉光謙介さんより)
★杉光さんのブログ http://white.ap.teacup.com/to-fuya/

その後、見習い職人がひとり増え、3人になりました。現在も見習い職人募集中です。

(2008.10.9.気合豆腐新井弘幸店長より)

 

2009年9月8日(火)
独立して店を持ち約2ヶ月の気合豆腐の杉光さんを訪ねた。7月23日に開店、以来豆腐を作り、店売りを続けてきたが、この日はちょうど杉光さんが、初「行商」に出かけた日だった。ちょっと痩せたように見えたけれど、「想像以上」に順調とのことで、パートの女性とともに元気いっぱい、店を切り盛りしていました。
気合豆腐は以前と変わらず美味しかったです!

★気合豆腐鎌倉町店
葛飾区鎌倉4−41−3
tel&fax:03-6458-9063
営業時間:9時頃〜19時頃まで
定休日:水曜

杉光さんのブログで日々の様子がわかります。
http://white.ap.teacup.com/to-fuya/

 



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