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江戸指物をつくる
  井上健志

兄弟弟子がいることは素晴らしい

シュルルッ、シュルルッ、シュルルッ。カンナをかけ始めた井上健志さん(36歳)の右側に桐のカンナ屑がたまり始めた。薄いカンナ屑を3枚か4枚削り出すたびに、手の指で、削っている桐の板の端を押さえ、平らになっているかどうか確認する。下に敷いた「あて台」がきちんと平らである限り、軽く押さえることで平らを確認できる。灰色にうす汚れたように見えた大きな板から、20㎝角程度の白く美しい桐の板が4枚削りだされる間に、健志さんの隣にはカンナ屑の山ができた。桐の箱になるという4枚の板は、触れてみると、カンナをかけただけだというのに「すべすべ」を通り越して「つるつる」ともいえる触感となっていた。「我々の仕事はカンナの仕事ともいえますね」と、健志さんは言う。

2月の極寒の取材日、昔ながらのやかんがかけられた灯油ストーブ1台だけの部屋で、カンナがけをしていた健志さんだけは「体が熱い」のだという。軽く削っているように見えて、実際にはそれほど力のいる仕事なのだが、「悔しいのは、一番上手に削るのが、一番力のない親父だってことですよ」。

木の床にあぐらをかいて座る健志さんのあて台の左に、父であり師匠である井上喜夫さん(66歳)のあて台が並ぶ。さらにその左に弟弟子というのか妹弟子というのか、この道8年の河内素子さん(30歳)のあて台が並び、3人が静かに、しかし熱を帯びて仕事に向かう姿が美しい。若い2人は師匠を「親方」と呼ぶ。

ひとカンナ削って・・・・・・・・」「気持ち削っといて・・・・・・・・」……。3人の間で交わされる言葉は、他業種の者の理解を超える。健志さんがまだかけ出しのころ、「ひとカンナ削って」と言われて「それは一体何ミリなんだ」という疑問をぐっと呑み込み「ひとカンナ」削ると、ぴたりと合った。「それがまた、悔しくてね」。そう言って健志さんは笑った。親方の言うことがやっぱり正しい。そう思い続けて何年を過ごしたことだろう。

釘を使わず複雑な部材を組み立て瀟洒な調度品をつくる「江戸指物」は、木工技術としては世界で類を見ない水準を伝えるといわれる。親方は「1人の職人が1人以上弟子を育てれば伝統工芸はなくならない」という考えのもとに、「せがれが10年目の年に」弟子をとった。「俺が死んだらつくる人がいなくなるんだとテレビで話している奴を見ると腹が立つ」と日本の伝統工芸界に苦言を呈する。「ふざけんなよ、と思います。自分が楽してるだけだろうって」。需要と供給、損得だけを考えていては弟子はとれない。「河内が12年の経験を積むまでは何とかこの手が動いているように」がんばっていると笑う。12年とは、国の伝統工芸士の試験を受けられる最低経験年数である。「先生」とか「匠」と呼ばれると何か違うと思う。呼ばれたいのは「親方」。そう話す横顔に技術を伝承していく職人の、次世代へ向けるまなざしの温かさを感じる。

健志さんは、そんな親方のもとで育った。


仕事場はワンダーランド

「血が出ちゃった」。

そう言って2歳の健志さんは父親に訴えたという。道具を握った手のひらに刃がくい込み血だらけになっていた。「よく怪我してました」。忙しかった当時、遅くまで仕事していた大人の目を盗んでは仕事場に潜り込んだ。「この環境って子どもにとってはすごい遊び場なんです(笑)」。鉛筆で字も書けないころから鉛筆を削ることを覚えた。

子どものころから手先の器用さが自慢だったが、夏休みの工作は「自分で作ったんじゃないだろ」と信じてもらえなかった。そんな話を聞いていると「私もそうでしたよ。『これ、お父さんに作ってもらったね』と言われて50点しかくれなかった」と、横から親方が口を挟んだ。あまり上手に作ると怒られるので手を抜いたり、作っても出さなかったりしたと健志さんが言う。中学のころには、友達は「やっぱ井上が作るとすげーよ」と感嘆したが、先生は「無視です」。2人の話を聞いていて、教育界のつまらないプライドにつぶされて来た多くの子どもたちが目に浮かぶようで、背筋がぞっとした。「これしか能力がなかったから、ほめてほしかったですよ」……。

それでも「物をつくるのが好き」という思いがぶれなかった健志さんはこの道を歩むことになる。

そして、18年。14年目に受けた「伝統工芸士」の試験では、当時組合理事長だった父が会場に挨拶に来たのを見て、ノミの刃先がプルプル振れノミが落とせなくなった。自分にとっての父の大きさをあらためて感じた。しかし後半、何かが降りてきたかのように120%の実力が発揮でき、32歳にして若き「伝統工芸士」となる。大きな経験だったという。このとき以降、「変な話ですが」何かが降りてくるということが時々起こるという。そんなとき作った品物には時を経て「もう一度会いたい」という気持ちになる。
「テングになって、鼻をへし折られて」、その繰り返し、と健志さんは言う。「自分は手先が器用で何でもそこそこできるということに甘えてきて、壁を乗り越えられないことがある」。だから、テングになることも必要、鼻をへし折られることも必要、と思っている。

そして今、兄弟弟子がいることをとてもありがたいと思う。10年差があるが、追いつかれたくない嫌な存在でもあるし、教えることで逆に教えられることもたくさんある。また自分にないものも持っているので刺激にもなる。腕のいい職人の多くが兄弟弟子とともに育ってきた。自分もいつか弟子をとる日が来たら2人とりたいですね……そう言って健志さんは笑った。

 





 

 PICK UP


 
健志さん作の抽斗ひきだし箱。49,350円。素材は木目がきれいに出るキハダ、仕上げは拭き漆。箱ものは健志さんの得意なアイテム。上のひきだしを引いて、また閉じると、すーっと下のひきだしがとび出す。

 

  指物師 DATA

■ 指物業界 :
指物の歴史は平安時代にまで遡ることができ、木工技術の中では世界に類を見ない高度な技術を現代まで継承してきた。需要の減少、それに伴う若手の減少は早急に対応すべき事態。
■指物師に必要な資質 :
門を叩く人は少なくないが、戦力になるまでに数年はかかる。その間、経済的に我慢のできない人には無理。(井上喜夫氏談)。
■新人採用の可能性 :
現在はないが、息子の代にはあるだろう。(同井上喜夫氏談)。


 SHOP DATA

■江戸指物 井上喜夫・井上健志
東京都荒川区東日暮里4-18-5 TEL: 03-3807-3426
受注生産が主であるが、百貨店や催事で買うこともできる。詳しくは問合せを。

* 本文は「MEMO男の部屋 2008年5月号」 (ワールドフォトプレス刊) に掲載されたものです。

 


文:舟橋左斗子
写真:柏原文恵

 

 職人近況

今つくっているのは歌舞伎役者さんが使う「楽屋鏡台」です。1ヶ月くらいこれにかかりきりになっています。このところ、歌舞伎役者さんからのご依頼が増えていますね。楽屋で使ういろいろなものをご注文いただきますが、1つの品物に何ヵ月もかかるようなものもあります。昨年は、妹弟子の河内素子が「全国伝統的工芸品工芸展」で「経済産業省製造産業局長賞」と「新人賞」をダブル受賞するといううれしい話題がありました。
(参考:http://www.kougei.or.jp/wnew/20/koubo_kekka20.html)
(2009.3.25 井上健志さんに電話取材)



木箸をつくる

絵馬ををつくる

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