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家具をつくる
  秋山木工 野義嗣(現在は独立)

すっ裸で放り出されても生きていける人、それが職人

「好きなところで、好きな人と、好きな暮らしができる、ってことかな」。

家具職人になってよかったと思うことは何かと聞いたとき、野義嗣さん(33歳)はそう言った。それは人間なら誰もが望む夢ではないのだろうか。確かな経験に裏打ちされた静かな自信が、野さんの笑顔の裏に見えた。

子どものころ「ガキのくせに」と言われるたびに、早く一人前になりたいと思った。一人前とは何か。「すっ裸で遠いところにポンと置かれても生きていける人」。子ども心に決めた目標に、今、手が届くところに来た。

インテリアの専門学校を出て秋山木工に就職したのは、やりたいことのステップとして、と言っても過言ではない。家具デザイナーを目指していたので、デザインするにも自分でつくれた方がいいし、ちょっとのぞいてみるかな、そんな気持ちだった。

ところが入ってみると想像をはるかに超えて「すごく真面目な人たちが一生懸命やって、やっとやれている世界」だということに気づく。しかも「入社した日から売りものにたずさわり、まだ未熟な段階から図面を預けられました」。1年目にひと通りの工程に触れ、2年目、社としてまとまった家具を受注したとき、「大きな家の小さな押入れの中の小さな収納棚」を任された。夢中で取り組み、棚を納めたときの感動は今も忘れられない。その後は、一仕事ごとに腕が上がっていくのを感じた。3年目、「やったらやっただけ結果が出る」面白さに夢中になった。「刃物が切れれば作業ははかどる」「段取りをうまくやれば早くきれいに仕上がる」…このころ毎日多くのことに気がついた。

秋山木工といえば、22歳以下の若者が腕を競う技能五輪全国大会でたびたび金賞銀賞を獲って来る家具業界の雄である。日本でも指折りの家具職人であり、自分の仕事は「一流の職人を世に送り出すこと」と信念を持って走り続けるパワフルでワンマンな秋山利輝社長のもとで、「最初のころは今日は何回叩かれたと数えていましたが、キリがないのでやめました(笑)」と野さん。取材の日も、ポカスカと頭を叩かれ怒鳴られる研修生たちを見て、今どきの若者たちがこれに耐えられるのだろうかと心配になったが、秋山木工とは、「手ぶらで入ってきて、どこへ行ってもやって行ける腕を持って出て行くところ」。野さんはそんな風に言う。スパルタ教育のすべてに納得していたわけではないが、何より求められたものをこなしたときの充実感が勝っていた。4年間は盆正月の休み以外は日曜日さえないのが秋山木工の研修制度だが、「1日休めば3日遅れる」、そんな気分で走り続けた。

社員として7年を経た28歳のとき、野さんはいったん秋山木工を辞めている。将来独立を考えていたので、1社しか知らないことに心細さを感じたこと、それから、顧客からデザイン会社、設計会社、制作会社…何社をも経る「距離の遠い仕事」に不満を感じたのが、その理由だ。すべての仕事ではないが、つくる道具のように扱われることに納得がいかなかったし、コストも時間も割に合わないと感じた。

実は秋山社長もいくつもの会社を経てから同社を設立しており、若手に対しても、いろいろな会社を経験すべきというのが持論だ。そんなわけで、最初は社長の紹介で、家具産地旭川の大手家具工場に転職、約2年を過ごすが、次に目が向いたのは海外だった。限られた紙面で詳細を伝えることはできないが、言葉も不自由なドイツで家具工房に自分を売り込み働く場を得、その後、学生時代から憧れていたデンマークのPPムブラー社にもアタックし仕事してきた実行力は素晴しい。木の仕事の面白さは、どの国へ行っても何千年の歴史があり、先人の知恵に学べることだと野さん。また、木は生きものの中では圧倒的に大きく寿命が長く、「じゃんじゃん切ってるけど」リスペクトがあると言う。


日本を出て2年、秋山社長から、戻って若手育成を手伝ってくれないかとオファーを受けたのが、昨年春。自分の人生の中で一番高値での年俸の申し出を受け、戻るつもりなく「さよなら」と挨拶してきた秋山木工に「ちょっと恥ずかしかったですが」戻った。今年は若手を指導し、 仕事を前に進
若手を指導して棚をつくる。秋山木工は約25人の会社でありながら、毎年5〜10人を新卒中心に採用し、最初の4年は研修生として、全寮制で、朝のマラソン、朝夕食つくり、掃除、毎日の反省ノートと、生活態度から徹底的に叩き込む独特の新人教育で有名。新人にとっては緊張と同時に大きなチャンスが与えられる職場だと野さん。毎年何人かが、グループ内で、あるいは独立して家具職人として一歩を踏み出す。
めるのが主な仕事だ。思えば、自分が仕事を覚えて以降、若手とほとんど関わらず盲目的に仕事に打ち込んできた。手伝おうとする若手を拒絶してきた一匹狼だった。が、外での経験を経て、会社を出て行くときには自分のレベルまで誰かを引き上げてから出るべき、と思うようになった。自分が立ち上げる会社でもそういうルールを作りたい。今、難しいながらも、若手に向かうことは喜びのひとつ。自分が「身につけたもの」を非常に重宝に感じるので、本当に求めている人がいるならそれを伝授したい。約2年。秋山木工の若手は育ってきたという自負がある。4月。それが自分の独立の目標。そのときには自分がいなくても若手たちは大丈夫。このごろそう思えるようになった。


「職人を選んどいてよかったなあと思います」と野さんが言う。「最終的に自分で解決できることが多いですから」という言葉が素敵に響いた。




 

 PICK UP

野さんがつくった三輪車。今は妻と2人暮らしだが、もし子どもができたら贈りたい。


  家具職人 DATA

■注文家具業界:
需要は落ち着いており、これからも大幅な変動はないと思う。ただ、一流の職人たちが高齢化し減っていっているにもかかわらず次世代を養成していないので、我々の仕事が年々増えるのだと思う(秋山社長談)。
■適材:
明るくてパーな人。本当の意味で素直な人材は近年なかなかいない。手先の器用さや頭の回転の良さは、今の時代逆に邪魔になる(秋山社長談)。
■待遇:
年齢に関わらず初任給(訓練生)10万円。2年目(研修生)17万円。8時半〜17時。最初の4年は、休みは盆正月のみ。社会保険完備。5年目(職人)35万円〜。(秋山木工の場合)

 SHOP DATA

■ 秋山木工  
横浜市都筑区荏田東町4394 TEL045-911-8020
http://www.akiyamamokkou.co.jp/

写真中央は秋山社長。「職人はオシャレでカッコいい」と言い、一流の職人、1000万プレーヤーを育てることに闘志を燃やす。



* 本文は「MEMO男の部屋 2008年2月号」 (ワールドフォトプレス刊) に掲載されたものです。

 


文:舟橋左斗子
写真:柏原文恵



 職人近況

3月末に秋山木工を退社して、7月1日に(株)マカロニデザインを設立しました。住宅街の中の、以前スーパーマーケットだったところを工房にして仕事しています。8月からは秋山木工で一緒だったオーストリア人のマルクスくんに入ってもらって、2人で注文家具をつくっています。将来的にはここに家具や雑貨を並べて、工房兼ショールームとしたいと考えています。マンションを購入された方の、本棚、食器棚から勉強机までトータルにつくらせていただいたり、下駄箱を納めた後、ご連絡いただいて他の家具をご注文いただいたり、お客さま直接のレスポンスがあって満足感は高いですが、自分の会社を経営するということは「家具をつくる」以外の仕事も多く、苦労も多いです。
(株)マカロニデザイン 横浜市中区山元町1-45-9 TEL080-1253-3872
(2009.2.4電話にて野義嗣さんより)


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