向島の町を歩くと、予想以上に着物姿の女性に出会う。小学校に上がるか上がらないかの女の子が、七五三でもないのに着物に白足袋をきちんと履いて歩く姿は他の町ではそうは見られない。昼間でもお稽古事に出かける着物姿の女性たちが、薄化粧にほのかな色香を漂わせて足早に歩く。今も約120人の芸者を抱える花柳界、向島の一角にめうがやはある。
「足袋を忘れちゃって」。
色無地の着物を粋に着こなした若い芸者さんが駆け込んできた。白足袋を一足買ってその場で履き、飛び出していく。
「子どものころから、細身の足袋をきれいに履きこなしている方を見かけると、ああいいなあと思っていました」と、石井健介さん(30歳)が言う。めうがや6代目にあたり、この道10年、ベテランですねと言うと、いえいえこの世界ではまだまだですと返ってきた。
今では店の風景にしっくりと馴染んだ健介さんだが、子どものころはなんと、当然のように「サラリーマンになる」と考えていたと言う。父親を見ていると毎日遅くまで仕事していて大変そうだし、「今どき足袋はないだろって(笑)」。
サッカー、野球、公園。友達と遊んで遅くまで家に帰って来ないスポーツ少年。体を動かすのが好きで、ものをつくるのは「どちらかというと嫌い」。高校を卒業すると、最先端の仕事に尽きたいと専門学校に入った。親にもあとを継ぐように言われたことはなかった。ところがまわりが就職活動を始めたころ、何をしようかと考えたとき、答えは「足袋」だったという。その選択が不思議に思えて問うと、「子どものころから花柳界を見てきた憧れが、たまりにたまってだんだん大きくなって、そこで一気に出たという感じでしょうか」。向島の花柳界には足袋もたずさわっているのだという思いが心に芽生えたのだという。「以前は日が落ちるころになると、新内流しの声も聞こえ、おしろいの匂いが漂ってくるのは何ともいえない風情で」と、お父様であり、めうがや5代目の石井芳和さんが話してくれたが、その魅惑の世界に手の届くところで大きくなった健介さんの選択だった。
しかし、現代のようにいつでも多くの選択肢があるように見える時代に、親のもとで働くのは様々にハードルが高い。会社社会ではあり得ない傲慢や甘えを親しい仲でもコントロールしなければならない。健介さんも毎日のように親と衝突を重ね、「はじめの1〜2年は常に仕事の雑誌を見ていました」。向いてないんじゃないか、もうやめようという気持ちが、何度も湧いてきたという。自分がこれでいいと思ってやっているのに叱られ、ただはむかった。やたらスピードをつけて生地を裁断し、これじゃ縫えないと言われて何枚も裁ち直したことも。「仕事の全体が見えていなかったですね」と思い返す。
そんなとき、様々にアドバイスをくれたのは職人仲間の同世代や先輩たちだった。墨田区は職人をバックアップする体制があり、横をつなぐ集まりがたびたびあるという。人形屋、包丁屋……同様に修業中の若い仲間たちが、時に飲みながら、経験を話してくれた。「まずは親の言うことはしっかり聞いて、できるようになってからやりたいことをやればいい」。幾度となく、そう聞かされた。今では、「自分ではちょっと違うと思っても、仕事では親の言うことは素直に肯定して聞くようにしています」。今、「教わる」というより自分から「学ぶ」「教えてほしい」という気持ちが高まっており、ますます謙虚にありたいと強く思っているのだそうだ。
誂えるということ
めうがやの足袋は7割が誂え足袋である。
誂え足袋は、まず採寸から始まる。健介さんの「御誂え足袋ご注文帳」にはびっしりと書き込みがなされている。「目に見えない部分、たとえば履く時間帯、形を優先する方か履き心地を優先する方か、また足袋に対する思い入れなどが重要ですので、寸法を測るのと同じくらい話もしながら、お好みを把握していきます」。足袋を作るのに幅が出るような気がして、徐々に、じっくり話を聞くようになった。そして、型紙を作るにあたっては、前日から気持ちの持ち方を変えながら集中力を高めていくのだという。型紙作りにかける時間は約3時間。その人との会話や性格などを思い起こしながら雑念を排除して専念する。
誂え足袋は、6足から注文を受ける。型紙に基づき1足作ったものを履いてもらい、最低でも3回は洗濯してもらって合わない部分を修正してから本制作にかかる。
「4〜5年前ですが、お茶席で月に1〜2度だけご使用になるという年配の女性の足袋をお作りしたことがあります。足がむくみやすいとのことでしたので、少しゆるめに作りました」。1足目のとき「これじゃゆるすぎて目についてしまって履けません」とお叱りを受けた。自宅に伺い採寸しなおしたとき、「いくら回数が少ないといっても、人さまに見てもらって恥ずかしくないものを作りたかったのです」と話された。ああ、思いが足りなかったんだなあと「帰りに公園で一人、反省しました」。
このような経験を重ね、また、「気持ち良かったからまた注文しますね」と喜ばれるうれしい経験も重ね、健介さんの仕事への思いはシャープさを増しているように見えた。最後に、健介さんにとって足袋とはと問うと「欠かしてはいけないもの。そして可能性あるもの」と答えてくれた。多くの人に足袋の良さ、着物文化の魅力を味わってもらいたい、また、若い人に履いてもらえる足袋も考えて行きたいのだと目を輝かせた。

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PICK UP |

鮫小紋(既製品)4,300円。めうがやの足袋は細身でつま先のつんとした姿が特徴。白足袋(既製品)3,360円〜。1番上のコハゼにはめうがやの刻印。誂え足袋(6足36,960円〜)。名入れ可。
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足袋職人 DATA |
■ 業界 :
足袋屋はどの町にも1軒はあった時代を経て、日本中に数えられるほどしかなくなった今、「自分に合う足袋」が求められていると強く思うと、めうがや親子は言う。顧客は芸者さんのほか、お茶や踊りをする人、能楽師や噺家さんなども。近年は、定年世代の男性がお茶や踊りを始めるから「形から入るんだとおっしゃいまして」注文する人もいる。外反母趾で既製品が合わない人もあるし、誂え足袋への認識は以前より高まっておりめうがやへは問合せも増えている。
■適材:
手先の器用さより、向上心と日々の積み重ね。(石井健介さん談)。技術と同じくらい人柄が必要。この人なら任せられると安心感を持ってもらえること(石井芳和さん談)。
■新人採用の可能性:
誂え足袋のニーズは確実に続くので、それを提供していかなければならないという思いがある。待遇面は企業のようにはいかないが、熱心な方があれば受け入れ、一人前に育てたい(石井芳和さん談)。
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SHOP DATA |
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向島めうがや
東京都墨田区向島5-27-16 Tel03-3626-1413 営/9:00〜6:00 日祝休
昔の足袋屋はお客様の注文を聞いて、外部の職人に仕事をふりわけ取りまとめる役目だったが、ここめうがやは現在はすべてを一手に引き受ける。
| * 本文は「MEMO男の部屋
2008年1月号」 (ワールドフォトプレス刊) に掲載されたものです。 |
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職人近況 |
現在は担当している裁断以外に、より完成度の高い型紙づくりや、5台あるミシンを全て使いこなせるよう励んでいます。また、習っている能の仕舞の舞台が来月あり、鏡を前に毎日練習しています。(2008.11.18.石井健介さんよりメール)