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佃煮をつくる
  西敏商店 大塚宏一・計介

本当にいいものを作っていると ドラマとの出逢いがある

「まだ煮上がんないの?」「もうすぐだ。そこに並んで待ってな」。
ふわりと甘く濃い醤油の香り漂う広い土間を遊び場に育った3人姉弟と近所の子どもたちは、いつも佃煮の煮上がりを楽しみに待っていた。ほかほかと煮上がったばかりの貝が子どもたちの一番のおやつ。父も祖父も毎日忙しく立ち働きながらも、まわりでチョロチョロかくれんぼする子どもたちを叱ることなく、「これ食うか」「これやってみるか」とかまってくれた。大きな釜に向き合い、煮上がった佃煮を10キロ単位で豪快にざるにあげる父の背中は大きく、強く、かっこよく見えた。「子どもにおいしいと言ってもらうとうれしいものです」と、今では2人の子を持つ父となった大塚宏一さん(33歳)ははにかむ。「父も母も明るい性格で、くだらないギャグばかり言って」、常にいっしょに過ごす自営の家庭にあたたかさを感じてきた。

いいときもあったしつらいときもあった。浦安が東京湾きっての漁業の町として活気を呈していたころ、海も川もきれいだったし浜に行けば子どもでもアサリがざくざく獲れた。「貝」は浦安の代名詞だった。ディズニーランドが来る前に、浦安は漁業権を返還、新鮮な材料が手に入らなくなり走り回る父の姿も見ている。佃煮が日本の食卓に欠かせない食材だった時代から多様な食に取って変わられるようになり、「うち、大丈夫なのかな」と感じたこともないわけではない。それでも「佃煮屋になりたい」「この店を大きくしたい」という夢は小学校1年のときから変わらなかった。大学生のとき、元気で働いていた祖母が倒れたのを機に祖母を元気づけながら手伝い始め、その後、店に入る。しかしそのとき父は「せっかく大学を出たのだから」と言って反対した。「業界の先行きに不安を感じていたのかもしれません」。でも宏一さん自身は「活路はある」と思っていた。うちの佃煮はおいしいという自信があったし、いいものは売れるはずだと思った。そして、ゴールデン時代の浦安をもう一度、という気持ちもあった。

でも本当は何より、家族が大好きだった、それが最大の理由だったかもしれない。ピンチを見たときすぐにかけつけた。

弟の計介さん(29歳)もまた、ここで仕事したいと思っていた。しかし先に兄も働いている状況で、「俺が入っても負担になっちゃうかな」と思い、長く言い出せずにいたのだと言う。

酒を飲むと父(2代目西敏商店主、60歳)は「人の道から外れるな」と語るという。初代のじいちゃん(88歳)は「いくらいいものを作ったと思っても図に載るな。100点はないのだから。人生は常に勉強だ」と、何度も何度も繰り返すという。アサリ1本で佃煮業をはじめ、アサリ不足から佃煮には難しいとされる青柳に転換。細かな青柳の汚れを落とす水洗い機を手作りしたほか独自のノウハウを構築し、東京湾の生の貝にこだわり、そして昆布を始めてからは現地に出向いて選んだ日高昆布にこだわって、祖父と父は佃煮を煮てきた。そんな先達に兄弟は憧れ、育った。2人の就業を父は口では反対したが、祖父は素直に喜んでくれた。

昆布を煮る

ぐつぐつと湯気をあげるかぐわしい醤油色のたれの中で、昆布がゆらゆらと揺らぐ。煮詰まってくると、たれがぼこっぼこっと水柱を噴き上げるが、しばらく見ていると水柱は低くなり、そのかわりに数多く飛び出し始める。

「そろそろかな」。そう言って宏一さんはたれの中の昆布を一つまみ口に入れた。「味付けが一番難しい。最初は何度も怒られました(笑)。この先もずっと、味とは戦っていくと思います」。火を切るタイミングも僅差で味が変わると言う。仕上がりが気に入らないと妥協できず、売らずに友人に配ってしまったこともある。

煮方は季節によっても天気によっても、また昆布によっても違う。「今日みたいに寒くてカラッとした日には、味がしみ込むのが早い」。前日の仕込みから、翌日の天気を予測して水加減を調整し、ぬるま湯につける。

初代と2代目で手作りした釜も左右で個性があると宏一さんが言う。左の釜は強気で、「一気に煮上げるけど実は繊細」。右の釜は「懐が深い。じっくりじっくり煮詰めていって最後にゴンと力をこめる」。

近年、宏一さんが入ってから始めたアミ(小エビ)は手間ひまかかる分おいしく仕上がったときの達成感が大きいのだと愛着を込め話す。「エビは友達」と笑う。最近一番難しい青柳を任されるようになった計介さんも青柳を語り始めると熱い。「新鮮な青柳はピンク色。でも4月の産卵時期は赤くてすごくきれいです。あぶらがのって身がぷっくりと」……兄弟の話を聞いていると、あらゆる素材、仕事場の道具や釜までもが、生きて動き出しそうな錯覚に陥る。

「1日置くともっとおいしくなるんですよ」。そう言いながら、宏一さんが煮上がったばかりの昆布を味見させてくれた。昆布屋さんに2ミリ幅の裁断機を特注で作ってもらい裁断してもらっているというやや幅の太い昆布は、柔らかいがしっかりと歯ごたえがあり、舌の上で、醤油のやさしい甘みの中に素材の味と香りがふわりひろがった。味の濃い「ごはんの脇役」のイメージだった佃煮を、これって「料理なんだ」と再認識させられた瞬間だった。

「このごろの食べものはいじくりすぎてる」と2代目は言う。西敏商店の佃煮は昔と変わらず、国産の素材を醤油と砂糖、水飴だけで煮ている。「20年前の味。今はないですね」「鳥肌が立ちました」等々、お客さまの声に「涙が出てきます」と計介さん。余命いくばくもないと宣告され食欲のなかった父親が西敏商店の佃煮をご飯に載せたらバクバク食べたなど、お客さまから寄せられる声が何よりの喜び。「本当にいいものを作っているとドラマとの出逢いがありますね」。

祖父の代から変わらぬ仕事場の中に「よろしく〜っ」「お〜っ」と威勢の良いかけ声が響いていた。複雑怪奇な現代社会の喧騒からタイムスリップし、ごくシンプルな、美しき家族の肖像を見た気がして、じわり、感動が胸に広がる1日だった。




 

 PICK UP

昆布は「浦安昆布佃煮」と「江戸昆布佃煮」の2種類。写真は歯ごたえを残して煮あげた浦安昆布。卸売中心だった売り方から、パックを作り浦安の市場で小売を始めたのが、宏一さんが佃煮づくりに慣れた約3年前。口コミやネットでじわじわとファン層を増やしている。



  佃煮職人 DATA

■ 業界 :
佃煮は、おしんこ、味噌汁とともに、日本の食卓に欠かせない品の1つだった。これまで業界は縮小してきたが、食は原点回帰し始めているので、本当に美味しいものを作っていれば市場はあると思う(西敏商店店主、大塚隆司氏談)。
■佃煮職人に必要な資質:
仕事に対するやる気、ひたむきさ、ただそれだけ(同大塚隆司氏談)。
■新人採用の可能性:
一人前になるまでに10年はかかるので、まだ兄弟を育てるのに手一杯だが、将来的には可能性はもちろんあると思う(同大塚隆司氏談)。

 SHOP DATA

■ 西敏商店  
千葉県浦安市猫実5-6-26 TEL047-351-2338
工場や浦安の市場などでも購入できるほか、ネット販売もしている。
http://www.nishitoshi.com/





* 本文は「MEMO男の部屋 2008年3月号」 (ワールドフォトプレス刊) に掲載されたものです。

 


文:舟橋左斗子
写真:柏原文恵



 職人近況

あいもかわらず弟と共に佃煮作り精進しております。
近況といいますか、最近力を入れている事は江戸前を活かした新商品開発に没頭しています。ネット販売の方でも、旬のものを佃煮にして期間限定で販売するスタイルなども取り入れてみたりしています。今後もいいものを残しながらも新しいことに挑戦できたらと思います。弟は3月に挙式が決まりました。当人も少しづつ実感してきたようで、今はそのことで頭が一杯のようですね(笑)
(2009.1.29大塚宏一さんよりメール)



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