グィングィングィン‥‥‥ジーッジーッ。回るグランダーの前で、透明にきらめくクリスタルグラスに人造ダイヤモンドの刃を当てる。若社長が入れた斜めのカットを受け、交差する縦のカットを、澤口智樹さん(33歳)が入れて行く。
篠崎硝子工芸所の商品は、1回に作るロットが多くとも40~50の少量多品種。入社5年目の澤口さんにとっては「初めての仕事」も数多い。この日のカットも初めての仕事だった。小一時間すると若社長※が仕事を終えたグラスがたまり始め、「仕事は完璧を求めても仕方がない。どこでつじつまを合わせて行くかということがものづくりの原点」としばし説教を受ける。
2代目、若社長と呼ばれる篠崎英明さん(48歳)によると、澤口さんは「技術はある」。ただ、時間がかかりすぎては仕事といえない。真面目すぎるきらいがある。ものをつくるうえでは多少の遊び、融通がきくことも必要なのだという。
毎日仕事に追われていることもあり、澤口さんには完全に任せきれる「磨き」の仕事、カット後の仕上げの仕事がまわってきがちだが、カットの仕事も少しずつ増えてきている。現在の目標は、カットの手を早くして、全体の流れを止めずに仕事に入ること。以前はゆっくりステップアップして行こうと思っていたが、妻子を得てからは早く技術力を上げたいと切実に思うようになった。収入も技量に応ずるからだ。現在の収入は妻に余念なく子育てに専念してもらえる額とはいえない。
しかし、後悔はない。細かなカットに取組んでいるときが何より楽しい。日々が輝くように充実している。
後悔したくないから
「やりたいと思っていない仕事をやりながら、さらにその仕事で我慢しなきゃならない。それが我慢できなかったんでしょうね」と、澤口さんは当時を振り返った。
美大のグラフィックデザイン課を卒業した後、デザイン会社に就職したが、毎日を忙しく働くうちに何かが違うと感じ始める。「ものづくりの実感がある仕事をしたい」。手を動かす仕事、実際にものに触れてつくる仕事をしたい自分に気がつき、後悔はしたくないと会社を辞めた。昼夜なく2年働いた後のことである。「美大を受けた時点で普通の人からずれているわけだから、それなら本当にやりたいことをやらないと意味がない」と本人は考えたが、両親は、せっかく大学まで出したのに職人かと反対した。給与面でも、デザイン会社にいればそれなりにもらえるのにと。
澤口さんの父はフォークリフトの整備士だった。子どものころ、よく親の仕事を見に行った。「手がすごくごっついんです」。その「手」の話を、そのときもした。「仕事している手に憧れがあったと父に話しました」。最終的にはやるだけやってみろと両親は背中を押してくれた。前の会社にも迷惑をかけ、両親の反対も押し切って進む道、次は絶対にやりたい仕事をやると思ったという。慎重派で通っている澤口さん、友だちからは「思い切ったことしたな」と驚かれた。
切子に狙いを定め、最初に入った会社では、とにかく仕事を覚えたいと一生懸命に取り組んだ。おおよその仕事を覚えたころ、この仕事はそのうち中国などに持って行かれるのではないかと不安がよぎった。透明の硝子に、稲穂や麦をちゃちゃっとカットする量産の技術。どうせものづくりをやるのであればいい仕事を覚えたいと退職した。29歳のときだった。
何社かにコンタクトするうちに、篠崎硝子工芸所のデパート催事を見る機会を得た。頭をガンと殴られた気がした。同じ硝子でこれほどまで違いがあるのかと衝撃を受けた。ここで仕事を覚えたいと思った。
しかし入社してしばらくはガチガチだった。「顔がこわばってたと思います」(笑)。前の会社では商品単価が安いので「割れちゃった」と言っても「いいよ」で済んだが今度は違う。扱う品物が高額だし、道具や材料に対する姿勢もまったく違った。皆が道具や材料をものすごく丁寧に扱うことに驚いた。先輩たちも厳しく、ことあるごとにガツンと言われた。
先輩職人は「仕事に飲まれないようにしろよ」とアドバイスをくれた。すごい、と思ってしまうとできなくなってしまう。どんな仕事も「人」がやっているのだからと。
今、ときどきB品生地をもらって就業時間後に自由な作品をつくる。見せてもらった繊細な「菊つなぎ」柄のぐい呑みは見惚れる美しさだった。時間内がフル回転で忙しく、緊張を強いられるので、終わるとぐったりということも少なくないし、2歳の息子がかわいくて家に帰るのが楽しみで仕方がないが、週に1度でも作品づくりに取り組みたい。若社長が連れて行ってくれる業界の飲み会で会う若手たちが、新作展で賞を取り始めた。「おまえ、そろそろ(取らないと)ヤバイぞ」と言われている。新作展で賞を取ることはこの業界ではそのままキャリアアップにつながる。そして、時間外に作ったものが会社として認められ、篠崎硝子の商品として並ぶことが次の夢である。デザインもできること、逆にそれが求められるということがこの会社の魅力と澤口さんは言う。まだまだこれから、しかしもう迷いはない。「何とかたどり着きました」と澤口さんは笑った。

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PICK UP |
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切子職人DATA |
■ 業界 :
江戸切子は江戸時代に端を発するが、明治期にヨーロッパの技法が伝えられて以降、独自の瀟洒なデザインに昇華していく。昭和40年代、江東区周辺には硝子関係の町工場が170社を超えたが、量産製品が海外へ産地を移し始めてから業界は縮小、現在は約70社となり、独自の販路と技法を持つところが生き残っている。
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求める人材
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いいものを作りたいという強い思いのある人。20代の職人見習い募集中(篠崎硝子工芸所・若社長談)。1日中座りっぱなしで同じ作業をするので忍耐強さは必要。品物は華やかだが作業は地味。でも本当にやりたい気持ちがある人にはやりがいがある(同・澤口さん談)。
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給与:
ハローワークの最低賃金からスタート。社会保険完備。(篠崎硝子の場合)
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SHOP DATA |
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篠崎硝子工芸所
東京都江東区大島5-2-2 ℡03-3682-3634 ショールームもあるが電話連絡の上訪問を。高島屋(日本橋・横浜・新宿・立川・高崎・大阪店)、鶴屋百貨店(熊本店)でも購入できる。
http://www.shinozaki-garasu.com/

* 本文は「MEMO男の部屋2007年9月号」 (ワールドフォトプレス刊) に掲載されたものです。
* 文中の若社長は、現在社長。 |
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職人近況 |
昨年秋より他社からの研修生が入り、一段階上の仕事を任される機会が多くなりました。今まで以上に忙しく充実していると同時に自分の職人としての未熟さを痛感する毎日です。プライベートでは、第二子が誕生しました。
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2008/8/31 さんより
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